小林英治建築研究所
建築家のエッセイ
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1999.11 ( 家づくりニュース99年11月号に投稿)
私は、ここ数年三度の食事は外食に頼っている。はじめの頃は外食が嫌で嫌でしょうがなく自分で作っていたけれど、これが意外と楽しいものだということが分かった。新聞の今日の献立だったか、そのとおりに作れば結構美味しい物が作れると自信が湧き、太刀魚の甘酢あん掛けなどと、普通料理屋さんでは食べられないようなものに挑戦してみたりした。これが娘にとても好評で、喜んでもらえれば作る側としたらこんなに嬉しいことはなく、しばらくはコックまがいのことをしていた。いつだったか娘が「お腹がすいたー」と言って帰ってきたので、得意のビーフシチュウを作ってあげようと7時頃から買い出しに行って作り始め、出来上がったのが10時を少し回ってしまった時があった。ビーフシチュウそのものは温かかったが最初に作った物はすでに冷めてしまっていたりしたが、それでも娘は美味しいねと言ってくれ二人でワインなどを飲んだりして、結構楽しい一時を過ごすことができたりもした。

料理を作ることは、意外と頭を使うもののようだ。冷蔵庫の中にある物から美味しい料理を作り、さらに温かい物を温かいうちに食べる側に提供するという主婦の仕事は、簡単だと思っていた訳ではないが如何に難しいかということが分かった。難しいだけに、やって見れば面白く奥が深いものである。だが私はコックではなく、建築家なのだから仕事もしなければならない。朝遅くに起きて、昼食の献立を考えて買い出しに行き、作り始めるとちょうどお昼時に出来上がる。その昼食も終えしばらく仕事をしていて3時の休憩の頃になると、今度は夕食を何にしようかなと考え始め、日も暮れ始めるとあのスーパーは7時に閉まるからとそわそわしだし、そそくさと仕事も放り出して買い出しに行く。後始末やら少しのんびりしていると9時近くなり、ようやく仕事に熱中できる時間が持てるようになる。
一日のほんの数時間だけが、私の頭の中に建築があり、残りの全てが料理になるという期間が三ヶ月ぐらいは続いたであろうか、これではとても仕事にならず、以来たまに好きなステーキを焼くぐらいしか料理は作っていない。すると又また嫌な外食に頼らなければならず、これが何とも嫌なことではあったが仕方がなく、しかし5〜6年も続けておれば、あんなに嫌な物でも今ではあまり感じなくなってしまった。毎日が中華屋・そば屋・とんかつ屋とその他2〜3の料理屋とをぐるぐる回るのが日課となり、その結果私はかなりスリムな方だが、コレステロールが倍、中性脂肪が三倍になっていると医者から言われ、びっくりしたものだ。

どうにかしなければと考えていた時、あるレストランを知った。そこは弁当だけしかなく、しかもお昼時だけしかやっていない。金額も六百円と安く、毎日が日替わりでいずれもカロリー計算をしているらしくほどほどの量で、充分に美味しいものが出る。後で知った話だが、都の経営で身障者が少しでも社会復帰できるようにと従業員として雇い、近くの病院や動けない老人たちに弁当の配達などもしているようだった。レストランの中に身障者が顔を出すことはなく、それと気が付かずにいたが良く見るとそれらしい人が働いている。私はこのレストランをもう三年近く使わせていただいていて、古い常連客の一人である。ここで取る食事だけが私にはまともに思え、お蔭様で命拾いができると、日々感謝している。

ある日のことである。私はいつものようにカウンターに座り食事をして、ふと視線を感じ目を上げたら、カウンターの中の片隅から女性がじっとこちらの方を見続けている。私は何となく食べづらくなり、見つめるのを止めてくれないものかと願ったものだが、彼女と以心伝心という訳にはいかず、冷や汗を掻きながらの食事になった。次の日も次の日もそんなことが続いたのには辟易してしまったが、それとなくこちらも観察して見ると、客が席を立った時でも後片付けに行くでもなく、有難うございましたと頭を下げるのでもなく、ただじっと自分の持ち場から動かずにこちらの方を見ているだけであった。他の人は忙しくしているのだからもっと働いたらどうかとよっぽど注意してあげたくなったりもしたが、そんな訳にもいかず、そんなことが続いたある日のことである。いつものように彼女は客が入ってきても帰って行っても動ぜずに一方向のみを見ていたが、そんな彼女に「今日は早くからだったから疲れたでしょう」と寄って来ては、「ちょっと休んだらどうか」と店員の何人かがやさしく声をかけていた。それを聞いた私はびっくりし、そうか彼女は身障者か知的障害者にもかかわらず、あれはけなげにも一生懸命に仕事をしている姿だったのかと、初めて理解した。そう言えば私のほうを見ていた目が、何となく私を通り過ぎて背後を見ているような、そんな遠くを見ているような目だったかもしれないと、納得がいったが、それとは知らずに私は自分の考えたことに恥じ入り、冷や汗がどっと出てきた。

私が彼女に対して思っていたことを誰に話した訳でもないが、この時ほど穴があったら入りたいと思ったことはない。今までも知らず知らずのうちに何度か同じことをしでかしていたかもしれないと思うと、ただただやり切れなさだけが残った。


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